「問答無用」と、時の犬養毅首相を青年将校らが射殺した1932年の「5・15事件」で、軍法会議を前に被告らが記したとみられる手記などの新資料が見つかった。「やってしまった後で理屈をつけた」という告白に赤鉛筆で×印がつけられるなどの書き込みもあり、軍部の法廷対策の実態をうかがわせる重要な資料と専門家は指摘する。
資料は、軍事評論家の辻田文雄さんが古書市場で入手し、戦前の国家主義思想や思想統制に詳しい荻野富士夫・小樽商科大名誉教授に分析を依頼していた。資料には、「陸軍」の銘が入った罫線(けいせん)紙を使ったものや、表紙に「細見」と名前が記されたものがあるほか、作成者や文中に登場する人名は事件の陸軍軍法会議に関係する人物と多くが重なっていたことから、この軍法会議で被告らの特別弁護人を務めた細見惟雄(これお)(事件当時は少佐、後年に中将)が以前に所有していたとみられる。青年将校らの決起文や手記のほか、論告要旨、全国から寄せられた減刑嘆願書の写しなどが含まれ、総量は39冊で計1千ページを超える。
5・15事件は海軍の青年将校らが主導し、陸軍士官学校の生徒11人のほか、民間の右翼団体の関係者が加わった。今回見つかった資料はすべて陸軍関係のもので、この中に被告のうち4人のものとみられる手書き文書が含まれていた。
4通はいずれも弁護人あてで、うち2通に、33年7月25日の初公判の約3週間前に相当する7月初旬の日付がある。原本と同じ文面のガリ版刷りもあり、そちらに赤や黒の鉛筆で傍線や、被告らと筆跡の異なる書き込みが残っている。
このうち、犬養首相の射殺現場にいた野村三郎(当時23)の名前が記された手記は、7月3日付で、襲撃に至る心情をつづった。
決起に至った思想的な背景を…